風大丸亭日乗

元大学教員、双極性障害、本と音楽と映画、そして毎日は続く

江分利満氏の酒・酒・女

授業、英語連絡会。学会のビデオ、ひとまずハイビジョン画質での編集は終わったが、これから変換作業が残っている。


やはり山口瞳ブームはきてるのか? エッセイのいいとこどり。初見のものもちらほら。どうせなら初出のリストをつけて欲しかった。

 彼女と結婚したとすると、彼女は、私が会社において順調に昇進することを望むだろう。私の健康管理にのりだすだろう。二人か三人の子供を欲しがるだろう。その子供たちが恙なく育つことを願うだろう。郊外に瀟洒な家を建てたいと思うだろう。(これも仮定の話であるが)私も、その気になれば、それくらいのことはやってなれないことはないと思う。
 彼女はそれが自分の使命だと思い、正しいことだと思い、そうすることが幸福なのだと思いこんでいるに違いない。
 それはそれで非常に結構なことなのであるが、私においては非常に困ることになる。彼女と結婚したとしても、何をもって幸福とするかという一点において決定的に衝突してしまうにきまっている。少なくとも、私たちは懊悩の日々を送ることになるだろう。そうして、多分、私のほうが負けてしまうだろう。それが厭なのだ。なぜ負けるかというと、彼女の考えには間違っているところがひとつもないからだ。それが非常に困る。
 男なら、誰でも女が考えているような「いい夫」になりたくないという意志があるはずである。いや、そう言ってしまうと言い過ぎになる。女の考えている幸福を幸福とするような男もいるのであって、これが、つまり、市民の側だろう。
 私は、自分がことさらに別の世界にいることを強調するつもりはないのだけれど、女の幸福とは別種の何物かに憑かれてしまっていることを認めないわけにはいかない。そうでなければ物を書く資格がないことになるだろう。少なくとも、そのことで懊悩する人間であるのでなければ――。

多方面から攻撃にさらされるのを承知で長々と引用してみたが、このへんが山口瞳の真骨頂であるような気がする。