風大丸亭日乗

元大学教員、双極性障害、本と音楽と映画、そして毎日は続く

『その「正義」があぶない』

4時半起床。やはり昼寝がよくないのか、夜がよく眠れない。7時を過ぎたあたりから、続々と家族が起き出して来て、子供たちが「映画!映画!」と騒いでいる。いつの間にか『ドラえもん』の映画に連れて行く約束になってしまったらしい。子供たちがあまりにうるさいので、仕方なく8時半に出発(体調不良の妻は留守番)。やはり早く着き過ぎて、駐車場で9時の開店をむなしく待つことに。開店と同時にチケット売り場に行くと、既に長蛇の列。この人たち、どこにいたんだ?肝心の中身(正式名称は『映画ドラえもん のび太ひみつ道具博物館』)は、やはり原作がないだけにストーリーに一貫性がなく、懐かしのひみつ道具が乱発しただけの印象。ドラえもんの鈴のエピソードは泣けたが(鈴のないドラえもんがどら猫化するというのもちょっと面白かった)。子供たちは楽しんで観ていたので、それでいいのだが。妻が息子を仕事に連れて行った後、眠気に襲われて延々と眠る。やはり人混みの多い場所は疲れる。夕ごはんを食べてまた眠る。

その「正義」があぶない。

その「正義」があぶない。


『地雷を踏む勇気』の続編。なんだか日替わりで、まったく立場の違う本を読んでる気がする。例によっていろいろと教えられるところは多かったが、印象に残ったのは「子供」の表記の問題。「子供の「供」の字には、「お供」という意味合いがあって、結果「コドモ」を「子供」と表記すると、「大人に付き従う者」であるというニュアンスを生じる」ということなのだが、確かに院生時代に受けた教育関係の授業(学部時代にサボっていたので、つぶしがきくようにあわてて授業を取ったのだ)でも同じようなことを言われた気がする。その時は「なるほどな」と思ったが、よく考えてみると言いがかりに近い。「子供」を「子ども」と表記したところで、「コドモ」の実態が変わるわけでもないし。というわけで、これからは「子供」で統一することにします。さすがに「中国」を「シナ」と表記するところまではいけないけど。