風大丸亭日乗

元大学教員、双極性障害、本と音楽と映画、そして毎日は続く

書評:寺内孝『チャールズ・ディケンズ『ハード・タイムズ』研究』

寺内 孝

『チャールズ・ディケンズ 『ハード・タイムズ』研究』

アポロン社、1996年)

 

梶山 秀雄

 

 評者も末席を汚しているが、あらためて考えてみると、「ディケンズ・フェロウシップ」というのは奇妙な団体名である。ディケンズ学会でもなければ、ディケンズ研究会でもない。フェロウシップ、すなわち「愛好会」や「友愛会」は、海外にそれぞれ支部を持ち、『ディケンジアン』のような研究誌を発行する、アカデミックな側面を持つ一方で、ディケンズ(と、その登場人物)を愛する一般人で構成されているという。評者はあくまでも見聞きしただけだが、開催日には劇が上映されたり、コスプレをしたりして、さまざまな人々でお祭り騒ぎになるらしい。逆に言えば、最もシリアズなのが日本支部であるということになるだろうか(毎回「朗読」が行われるのは、そうしたお祭り騒ぎの一部を残しておきたいという元会長の意向である。

 それゆえ、「懇親会」もまた、通常の学会のそれと同じようなものになる。まあ、大御所がいて、中堅がいて、若手が集まって、という感じである。そんな中で、いつも誰と話すでもなく、にこにこして立っていたのが筆者であった。入会したばかりで右も左も分からず、社交が苦手な「壁の花」であった評者を手招きしてくれ、ディケンズの作品について語ってくれた。もちろん、とても有り難かったのだが、どうしてこの人は他の人と話さないんだろう、と思ったのも事実である。

 その答えとなるのが、この著書である。思い出話ばかりで恐縮だが、評者の学部および大学院時代は、文学理論が華やかなりし頃で、テキストの外部は存在せず、いかにして理論Aと理論Bを導入して化学反応を起こすか、ということを競い合っていた(解釈はそれぞれだろうが、少なくとも評者は大体そう考えていた)。しかしながら、いつ知ったのか定かではないが、この大学には「ディケンズの言語」に関して、かつてY先生という世界的な学者がおられて、その伝統が脈々と受け継がれているということだった。よく殴られなかったものだと思う。

 「言語学」と「文学」の違いはあれ(本質的には同じものかも知れない)、伝統的には「実証的」なアプローチしか考えられなかった。用例(データ)は多ければ、多い方がいい。その方がよりよく作品を理解出来る。正しい「理論」である。しかしながら、(いろいろあって)そうした方法は、時代遅れになってしまった。それが「懇親会」での、著者と、その他の人々との、あの距離だったのではないか。

 著書を読んで圧倒されるのは、その注釈の多さである。多さというだけでは十分ではない。試みに二分冊の中で、筆者が『ハード・タイムズ』を論じたページを数えてみると、164ページ中16ページである。まず、『ハード・タイムズ』の批評史があり、そこにそっと著者は持論を差し込む。そして、テキストの版に話は繋がり、登場人物の挿絵があり、さらに(今度は)テキスト全体の注釈で終わる。これだけ囲い込まれて、なにが言えるだろう?まさしく、「『ハード・タイムズ』研究」にふさわしい著書である。

 その著者の(数少ない)議論の中で、歴史的背景と教育の重要性である。これも『ハード・タイムズ』を扱う上で、もはや使い古されたテーマと言える。しかしながら、著者の本領は、ジャン・ロックに触れた後で、適確な引用が続くことである。ジャン・ジャック・ルソーについても然りである(27-8)。これが意味するのは、著者は「確実に」この著書を読み通しているということである。それは注釈に注いでいる情熱からも容易く類推出来る。かくて、このテーマもまた囲い込まれて、後に続く者は他に汲み取ることが不可能になる。「実証主義」には、そのような(時には世代を超えた)積み重ねが存在する。二冊目は「ディケンズの書斎にあった本」、「所有していた絵画」、「サッカレーの書籍にあった本」、「同じく書斎にあった遺物」が、これでどうだ、というばかりにリストアップされている。

 以上のように、この著書はもはや文学研究の域を超えて、書誌学とも言えるレベルに達している。ところどころに、そうした真摯な著者の姿勢を揶揄しているように感じられたら、それは評者の意思と反している。むしろ、評者が見たのは、綿綿と続くディケンズ研究の伝統であり、その結果として(少なくとも、『ハード・タイムズ』に関しては)「研究」は、達成されたということである。所属した大学院が徒弟制度であったら、評者はとても耐えられなかったと思うが、ここに先人の思いを受け継ぐ「学者」の姿を見た気がした。