風大丸亭日乗

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書評:田多良俊樹 「植民地の逆襲と、あえてその名を告げぬ民族主義」

田多良俊樹

「植民地の逆襲と、あえてその名を告げぬ民族主義

『幻想と怪奇の英文学』共著(春風社、2014年)

 

梶山 秀雄

 

 18世紀末、ホレス・ウォポールの『オトラント城奇譚』によって始まった古典的なゴシック小説の流行は、イギリスでは19世紀の初めにブームの終わりを告げることになった。その最後の徒花とでも言えるのが、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』(1891年)である。識者によれば、この作品では単純にゴシック小説の作法に従っているのではなく、「分身」や「生霊」といった現代的なモチーフを導入されていることで、「アイルランドの最初のモダニズム作家と見なされている(216)」。この作品については、筆者は詳しくは論じていないが、ゴシック小説の「継承」と「革新」であるという点については、研究者の中でも意見が一致していると述べている(217)

 『ドリアン・グレイの肖像』がゴシック小説の歴史において、重大な転換点であるということは、ワイルドが只のゴシック・ロマンスの継承者であるということを意味しない。むしろ、この作品の方が例外であり、ゴシック小説というジャンルを換骨奪胎し、「ポストモダニズム(あるいは「ゴシック・ポストモダニズム」)」(217)に移行する意図が感じられるのである。そのことを『ドリアン・グレイの肖像』よりも以前に発表された短編「カンタヴィルの幽霊――物心論ロマンス」をテクストに著者は論じてみせる。

 出発点となるのは、この作品が「自己言及性」に貫かれた、「メタ幽霊譚」であるという点である(217)。すなわち、これは「ゴシック小説についてのゴシック小説」なのだということは、物語の前半部分でカンタヴィルに移住したオーティス氏と家族は、この屋敷に取り憑いていた幽霊を一向に怖がらないことでも分かる。こうした喜劇的な展開は、ワイルドがゴシック小説の構造を自家薬籠中の物としており、そしてその小説としての実効性が失効しているという認識を持っていた証左だと考えていいだろう。「このコミカルな関係が、「カンタヴィルの幽霊」のメタフィクショナリティを生み出す一因となっている」(219)。著者が言及しているように、この物語の中には、さまざま要素が混乱しながら存在している。悲劇/喜劇、実在/幻想、恐怖/無関心、現実/演劇、科学/迷信といった組み合わせを変えながら展開していく。すなわち、「メタフィクション特有の入れ子細工構造をも形成している」(221)のである。

 著者によれば、この物語の政治的背景にあるのは、アメリカとイギリスの価値観の違いである。カンタヴィル卿から屋敷を買い取る場面で、オーティス氏は幽霊の存在を頭から否定する。「そして、ふたりの関係には、イギリス伝統主義とアメリ近代主義、イギリス貴族制とアメリカ共和制という二項対立が重ねられている」(226)。ここで著者は、アメリカ合理主義をイギリス自然主義の上位に置き、オーティス氏は長女ヴァージニアがチェシャー公爵と結婚する際に得た「爵位」というものを誇らしげに思う(229)。そして、このことでアメリカ/イギリスの脱構築が起こっていると論じている(229)。しかしながら、この二つの国家には厳密な意味での上位関係は存在せず、むしろ経済的に成功したアメリカの方がイギリスに対してコンプレックスにも似た思いを抱いているのではないかと評者は考える。それを歴史と言ってもいいし、格式と言ってもいいし、とにかく自分たちに欠如しているものを求めて「侵入」してくるのである(230)。むしろ、イニシアティブを握っているのは、イギリスの方ではないか(おそらく、これは「脱構築」という解釈の相違に基づくと思われる)。とはいえ、イギリスがそうしたアメリカに対して恐怖を感じていなかったということではない。

 筆者は最終章で帝国の脱植民化という問題を取り上げている。前述したように、アメリカ人富裕層がイギリスに侵攻し、自分たちの娘たちを貴族階級をと結婚させ、爵位を得るという現象が起こった(237)。これは言わば、かつての植民地であったアメリカの復讐でもあり、経済的な繁栄を武器に、イギリスから伝統性を剥ぎ取る行為である。さらに合理的精神で幽霊の存在まで祓ってしまう(少なくともカンタヴィル卿は幽霊の実在を信じている)(226)。その標的になったのが、かつて自らを植民地化していたイギリスだと言えるだろうか。こうした状況下において、アングロ・アイリッシュと出自を持つワイルドは、「愛国者であった母親と民族主義を継承し、アイルランドとの紐帯を保持していたと考えられるのだ」(239)。換言するならば、現在も植民地化されているアイルランドは、かつての植民地アメリカがイギリスに逆襲する姿に将来の自分たちを想像したのではないか。「あえてその名を告げぬアイルランド民主主義」(240)と筆者はまとめる。ゴシック小説のパロディでもなく、メタフィクションの先駆性でもない。本当の恐怖は誰にも気づかれないまま、その日を待っているのだと。