風大丸亭日乗

元大学教員、双極性障害、本と音楽と映画、そして毎日は続く

中国行きのスロウ・ボート

まだ風邪が治りきってないので、午前中はまた家族で引きこもり。この週末にかけて楽天が大感謝祭なるものを開催していたので、またしても狂気が発動しかけたが、今回は妻や子供の必要品を買い揃える程度に留める。午後から選挙に行って(「反社会的な癖に投票はするのね」と妻)、本当にひさしぶりに日帰り温泉に入って、お好み焼きを食べて帰った。

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)


思い出したように村上春樹再読計画。長編にじっくり取り組む気力がないので、偶然見つかった最初の短編集を読み直してみる。断片的だったり、変に寓話チックだったりして、例によって、まだ「小説」になりきってないものがほとんどだが、それだけに何かを伝えようとしてする思いは伝わってくる(特に表題作の最後の呼びかけはいささか恥ずかしくも感動的だ)。それは時代的なものを反映しているのかも知れないし、青春(!)に付きまとう何かなのかも知れない。ところで村上春樹と言えば、文庫に一切の解説が付いてないのが普通だが、この小説の裏表紙には、誰が書いたかも分からない(編集者だろうか?)惹句めいたものが載っている。出版当時の村上春樹がどういう風に受け入れられていたかの貴重な証言だと思うし、たぶん、どこにも残らないと思うので引用しておく。

そうだった。村上春樹の初めての短編集『中国行きのスロウ・ボート』が安西水丸の洒落たカヴァーで出版されたのは、1983年の初夏のことだった。僕たちは我れ先にと取り合い、結局、二冊買って、どっちがよけいボロボロにするか、競ったものだった。
あれから三年弱、1986年が明けて早々、その文庫本が出た。この小さな書物が、新たなどんな思い出を作ってくれるのだろうか。嵐や小波はいくつかあったけれど、僕たちの大いなる夏は続いている。

ところで、『中国行きのスロウ・ボート』で検索したら、こんなものが引っかかった。確かに古川日出男もポスト村上と目されているけど。ちょっと面白そうなので読んでみようか。