或る「小倉日記」伝
朝イチで英語×2、英語連絡会、教員会議。すべて終了したのが7時。さすがに疲れた。
- 作者: 松本清張
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1965/06/30
- メディア: 文庫
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先日のディケンズ・フェロウシップの2次会だか3次会だかで、話題になったので取り寄せて読んでみた。松本清張はいわゆる社会派のミステリ作家の大家であるのはご承知の通りだが、僕はどちらかというと純粋パズルを好むので、例の「ミステリは人間を描けてない」議論も相俟ってずっと敬遠していた(だから、宮部みゆきが松本清張の短編集を編んだりするのは当然のことなのだ)。が、この短編集は実に素晴らしい。特に表題作は、別にミステリ的な要素があるわけでもないのに(むしろミステリ的「行為」の小説で)、本当に感動させられた。以下、森鴎外の空白の小倉時代を調べようと奔走する主人公、耕筰の心理描写。
(前略)空は晴れ渡り、ただ一きれの小さな白い雲が不安定にかかっていた。それは妙に侘しいかたちの雲だ。見るともなくそれを見ていると、耕筰の心には、また耐えがたい空虚な感がひろがってくるのだった。こんなことを調べてまわって何になるか。いったい意味があるのだろうか。空疎な、たわいもないことを、自分だけがものものしく考えて、愚劣な努力を繰り返しているのではないか。
おそらく全ての研究者はこの言葉を胸に刻んでおかないといけないだろう。ちと長いけど、座右の銘にしよう。