風大丸亭日乗

元大学教員、双極性障害、本と音楽と映画、そして毎日は続く

恩讐の彼方に

いつも通り早朝に目覚める。でも今朝は高知名物の朝市に行く予定なので丁度よい。路面電車に乗っていざ出発。ほとんど歩行者天国と化している朝市を、レディオヘッドを聴きながら、家族に少し遅れて付いて行く。風太のお土産にまたたびの棒を買った。一度ホテルに戻ってから、アンパンマンミュージアムに向かう。おっと、その前にどうしても寄りたい所があった。それは国道沿いのブックオフ。なんだ、新古書店か、と侮るなかれ。ここのブックオフは、なんと日本一の売り上げを誇る店舗で、敷地面積が広いのはもちろん、きちんとジャンル分けされていて、そこらの新刊本屋では太刀打ち出来ないくらいの充実ぶりなのだ。というわけで、家族には車で待っていてもらい、あまり見ないような本を中心にしこたま買い込んだ。さあ、行こう。前置きが長くなったが、アンパンマンミュージアムだ。館内まで入ったことはなかったが、アンパンマンをモチーフにしたアート作品なんかも展示されていて、子供はもちろん、大人も十分に楽しめる施設だった。僕は前からアンパンマンの偽善的なところが大嫌いだったのだが、やなせたかしのことは見直した。さて、目的は果たしたし、後は帰るだけ、となった時に、「もう1回、穀物学校に行きたい」と妻と娘が言い出した。しかし、まだ体調が万全でないし、帰りの運転時間を考えて却下。にわかに車中に不穏な空気が流れ出す。これが家族旅行の難しいところだ。途中でアクシデントに遭ったりして(どんなアクシデントかは、妻が書くなと言うので書かない)、思ったよりも時間がかかってしまったが、なんとか7時に帰宅。鍵を取り出した瞬間から、置き去りにされた風太の鳴き声が聞こえた。

これは全くの個人的なことなので、書こうかどうしようか迷ったが、気持ちの整理をつけるのによい機会だと思うので書いておく。興味のない人は飛ばしてください。実は、僕は10年前に1年間だけ高知で暮らしていたことがある。博士論文は書き上げたものの、広島近辺には非常勤講師の口はなく、どうやって生活していこうかと考えていたところに、高知高専に勤務する先輩から声がかかった。とりあえず、非常勤の身分だが、十分生活してけるだけのコマ数は保証するし、将来的には専任になる可能性もあるという願ってもない条件。ところが、書類選考や面接を経て、どこでどう話が変わったのか、赴任した時にはコマ数は約束の半分になっており、家賃と生活費だけで精一杯という状況になっていた。仕方がないので、バイトを探すことにしたが、高知というのは中学受験が盛んで、有名校と呼ばれる中高一貫校がしのぎを削っており、勢いその為の学習塾もたくさんあった。と言っても、塾も玉石混交で、公文に毛の生えたような塾もあれば、名門と言われる塾もある。結果的には3つの塾を掛け持ちして働いた訳だが、どこでも随分と嫌な思いをした。ある塾では面接で履歴書を見るなり「博士号取って就職がないの?」とせせら笑われたし、ある塾ではカリスマ的な塾長がアットホームな付き合いを強要して、休日でもスポーツやアウトドアに参加させられた。西原理恵子も言っているが、僕の出会った高知の男は、基本的に自分のことを坂本龍馬だと思っており(ものすごい決めつけだとは承知しているが)、反中央の気概が強くてよそ者に冷たい。懐に飛び込んでしまえばいいのだろうけど、僕にはそれが出来なかった。バイトでへとへとになって、近所の神社に座って飲んだビール(じゃない、発泡酒)、食費を削る為にほとんど毎日食べていたカップの塩焼きそば、近所にあった本屋にピカピカと並んでいた買いたくても買えなかった新刊書、あの時の鬱屈した気持ちは、いまでもはっきりと思い出せる。それでも半年が経って、イギリスから帰国した現在の妻がやってきて、同棲生活を送るようになってからは、少しは生活が楽になった。彼女もやはり学習塾のバイトを見つけてきて、給料日には前述の「穀物学校」で楽しく食事をすることもあった。それでも月末なんかには、やっぱりお金がなくなって、妻が持ち帰ったトラベラーズチェックをこんな田舎の郵便局で換金して(しかもポンドだから、やたらと手続きが面倒だった)、その場を凌ぐこともしばしばだった。そんなこんなで精神的にも金銭的にも追い詰められているところに、両親の問題が依然として降りかかってきた。数年前から父には愛人がおり、なんとかして母を追い出して、その愛人と一緒に会社を経営したい、という厚かましい考えを持っていた。僕が高知にいた時には、この家庭争議はピークに達していて、母から何度も涙声の電話がかかってきて、その度に憂鬱な気分になっていた。おまけに双方が僕を味方につけようと思ったのか、実家の別府から車で何度も訪れて、僕を交えて話し合いが行われ、それがまた神経に触った。恨み辛みを述べる母とは正反対に、父はそんな訴えを軽く受け流して、なかなか核心の話をしようとしない。そんな不毛なやり取りの何回目か、業を煮やした僕が包丁を持ち出して、父を刺そうというところまで追い詰められた。ようやく本心を語った父に、母は慰謝料を要求した。「2000万円」と言った時の母の表情は忘れられない。ここまで築いてきた家庭が、2000万円で崩壊してしまう悲しみ。僕は耐えられなくなって、それならいまあるお金を妹を含めた4人で配分して、家族を解散しようと本気で言った。もう誰の顔も見たくなかった。当然、キャッシュでそんな大金が父に用意出来るわけはないので、話し合いはそこで終わってしまったのだが、この愛人問題はずっと尾を引いて、父が亡くなることでようやく決着した。というか、父の愛人の目的はお金だったので、次第にフェイドアウトした、と言った方が正確だろうか。長くなったが、それが10年前に僕が高知で過ごした1年間に起こったことだ。今回、アンパンマンミュージアムから高速インターに向かう途中に、見覚えのある風景があった。神社、コンビニ、酒屋、本屋、焼き鳥屋。間違いない、これは僕が住んでいた場所だ。ちょっと寄り道するつもりで、当時住んでいたアパートに行ってみた。リフォームしたようですっかり綺麗になっていたが、間違いなく僕が風太と妻で暮らした部屋だ。この瞬間、高知で経験したなにもかもが、すっと何処かへ消えていった気がした。お父さん、いろいろあったけど、ちゃんと就職して結婚したよ。子供は2人、女の子と男の子だよ。あれからもいろいろあったけど、いまは元気になって、家族で仲良く暮らしているよ。見てもらいたかったな、いまの僕たちを。

なんだかセンチメンタルになってしまったが、明日からは通常営業です。どうぞよろしく。